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皇居の警備
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即位礼正殿の儀

こんにちは。伊川(@naonaoke)です。

いよいよ即位礼正殿の儀が行われます。

即位礼正殿の儀の警備について記載します。

ただし、私が東京に住んでいたときの話です。

1990年(平成2年)6月29日に秋篠宮殿下が即位したときのお話です。

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通常の警備

皇太子様がランニング

私は、新宿区の四谷3丁目に住んでいました。

しかも、新聞配達をしていました。

朝刊は、午前3時から、配達をします。

赤坂御所にも、入れたりします。

もちろん身分証明書で登録が必要です。

赤坂御所の入り口は、当時、警察官がひとりで門番をしています。

本当に一人しか入れないような箱の中に、チョコンと座っています。

ほぼ、顔パスで入ることができます。

中に入ると、スーツ姿の男性が結構いました。

その時、白衣をまとった医者が3人と、ある男の人が御所の中を走っていました。

結構、御所の中は、坂がるのです。

その白衣3人と、男性がランニングをして私のほうに向かってきました。

そのある男性とは、皇太子殿下でした。


・皇太子がランニングをするときは、主治医が3人つく

多分、私が、ランニング中に走って、倒れても、そのまま、死んでしまうでしょう。

しかし、皇族ともなれは違うものです。

文仁親王妃紀子様に1メートルまで近づく

その姿を横目に夕刊をポストに入れようとしたら、秋篠宮様と、文仁親王妃紀子様が玄関にいらっしゃいました。

文仁親王妃紀子様は、テレビで見るよりも、本当にきれいな女性でした。

目が合ったので、文仁親王妃紀子様スマイルを間近で見ました。

佐川急便時代に、皇居に配達に行く

東京サミットで、千代田点に応援に行ったことがあります。

なんと、美知子様に荷物を配達するのです。

どんなものが入っているのかとても知りたくなります。

その好奇心は、すぐに解決することになります。

当然、皇居に入るには、警察官がいます。

声に出しては言いませんが、当然、配達されるものは、事前に警察官は知っています。

しかも、私たちも立ち会って、X線を当てます。

美知子様に配達をするのは、マジで大変です。

1時間以上の時間を要しました。

皇室になにか儀式あるとどうなるか

いままで書いたような平和な警備ではなくなります。

少なくとも、秋篠宮様が即位したときは、皇居、御所近辺はガラリと変わります。

とにかく検問が始まる

皇居に近づくにつれて、検問がおおくなります。

免許証の確認は後回しで、とにかく、トランクを見せてほしいといわれます。

これが、3回続くと本当にいやになります。

警官、機動隊が100メートル以内に立っている

ウソと思うかもしれませんが、本当にたくさんいます。

多分、警視庁が各県警に応援を要請していると思います。

四谷には、杉大門通りというのがあって、その場所を荒木町といいます。

ここには、本当に警官と機動隊がたくさんいました。

警察官と機動隊の違い

警察官は、私に新聞をたかってきました。

もちろん、お金を払う警察官もいました。

私が、「料金はいりません」といっても、絶対に料金を支払う警察官と、

いきなり、「新聞ちょうだい」と言ってくる警察官です。

料金なんて全然、支払う気がないのです。

新聞を渡すと、「ありがとう」と笑ってそのまま警備に戻ると思っていたら、

公園で、競馬の欄を見ていました。

事実ですよ。今は、そんなことはないと思いますけど。

機動隊

機動隊は、まるで、機械のような人でした。

警棒を持って、武装した人とすれ違うと寒気がしたことが何度かありました。


その機動隊の特徴なのですか、土方歳三のようでした。


みな、このような目をしていました。

このような目をしている人は、本気で人を殴れる人です。

私は、各特技をしていますが、なかなか本気で人を殴れるものではありません。

この目をしている人とは、絶対に喧嘩をしてはいけません。

マジで、殺されると思います。

人を殺せる目は、鋭い目つきではありません。

本当に、このような目をしています。

秋篠宮様が無事に即位

そのような警備が1ヶ月間続きました。

中核派も結構、即位の礼の前に暴れていたらしく、警備が厳重になったのかもしれません。

昭和天皇

子供のころは、天皇のことは、なんとも思いませんでした。

しかし、韓国が、天皇に謝罪しろと言ったときは、さすがに腹が立ちました。

日本国民の象徴です。

今でも思いますが、昭和天皇は、偉大な人だと思っています。

昭和天皇がいなければ、戦後の日本はどうなったのか、わからないです。

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