キャベツの千切りが通じた日──“鉄の女”が世界で戦うとき、日本が刻むもの
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キャベツの千切りが通じた日──日本の“鉄の女”が世界で戦うということ高市早苗議員とは、いったいどんな人なのか。

「鉄の女、日本版──その名は高市早苗?」

サッチャーがミルク屋の娘なら、
高市さんは…お好み焼きを“ジャパニーズピザ”としてアメリカで振る舞った女。

そんな都市伝説すらある彼女が、
日本の政治における“鉄の意志”を体現し続けている。

今回は、そんな高市早苗さんを“日本のサッチャー”として勝手に妄想してみる。

キャベツの千切りが通じた日──日本の“鉄の女”が世界で戦うということ

 

 

高市早苗議員とは、いったいどんな人なのか。

32歳で衆議院議員に初当選(※)。

しかも、親が政治家だったわけでも、自民党の支援があったわけでもない。

サラリーマンの父と、警察官の母という一般家庭から、無所属で国会の門を叩いた。

そして今──

彼女は「最も総理の椅子に近い女性」として注目されている。

経歴は、もう割愛しよう。

検索すれば、いくらでも出てくる。

最近では「総裁選で涙した」なんて記事ばかりだけど、ちょっと待ってくれ。

本当に大事なのは、そこじゃない。

その本質は、キャベツの千切りにある

私の体験だが、小樽にアメリカ海軍の艦が寄港したときのこと。

港近くの食堂で提供された「チキンの甘酢がけ」の下に敷かれていた、

あの日本特有のキャベツの千切りが──なんと、大ウケだった。

彼らにとって、それは未知の食べ方。

あとで知ったが、アメリカにはキャベツを“千切り”で食べる文化がほとんどないらしい。

つまり彼らは、チキンじゃなく、キャベツに感動していた。

直助

もちろん、甘酢もよかったんだろうけど。
1時間で、20皿作った記憶がります。
客席を見ると、海軍の人達でした。

 

 

外交とは、ピザにすることじゃない

「お好み焼き? ジャパニーズピザよ」

かつて高市早苗が、アメリカ留学時代にそう言った──というエピソードがある。

真偽は定かではない。でも、これは彼女の本質を表していると思う。

日本の文化を、相手に合わせてわかりやすく“伝える”。

でも、芯は変えない。

それができる人なのだ。

サッチャーと同じ“政治の孤独”

永田町には、男たちだけの根回しが存在する。

夜の会食、クラブ、派閥の密談。

女性議員である彼女が、その輪に入れないことを、本人も語っている。

そして、こんなサッチャーの言葉を引用して共感を表明している。

 

夜の会食、女性のいるクラブ、
そんな“男たちの根回し”で物事が決まっていく永田町。

高市早苗は、そんな場に呼ばれるタイプではない。
それは、彼女が“女性だから”というだけでなく、
「その場に迎合しない強さ」を持っているからだと思う。

彼女自身、その不利さを痛感してきたはずだ。
それでも、声をあげない。
ひとりで“芯”を守り続けている。
そんな彼女に、私はどうしても重ねてしまう。
かつて、マーガレット・サッチャーが語ったこの言葉を──女性というだけで、“輪の外”にされる政治のリアル。

「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」

でも、それでも。
輪の中に入らずとも、自分の包丁でキャベツを刻み続ける。

それが、“鉄の女”という生き方なのだと思う。

2021年、総裁選。

涙をのんだ彼女は、あるインタビューでこう語っている。
「総理になったら、まず何をしますか?」

「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」

そして彼女は、靖国神社への参拝を「諦めない」と語る。

なぜなのか──

そこに、外交の“芯”があると信じているからだ。

かつてアメリカを訪問した際、

高市氏はアーリントン墓地に足を運び、追悼の祈りを捧げた。

そしてこう語っている。

「アメリカのために命を落とした人々に敬意を払う場があるなら、日本にも同じものがあると、他国に説明していくべきだ」

この主張に、異を唱えたのが野田聖子だった。

「たった一人の感情で、他国の感情を害し、日本の中小企業に迷惑をかけることを考えているのか?」

──でも、ちょっと待ってほしい。

友好とは、相手の機嫌を損ねないことなのか?
それが“正しい外交”なのか?

断じて、違う。

国家としての誇りを持ち、

自国の立場を丁寧に、しかし明確に伝える。

それこそが、これからの日本が世界と向き合う“本物の友好”ではないか。

高市早苗は、そう信じている。

鉄の女は、キャベツを刻む

強い発言も、鋭い政治姿勢もある。

だけど、根底にあるのは「日本をきめ細かく、正しく伝えたい」という思いではないか。

鉄の女とは、戦う者ではない。
刻み続ける者だ。

誰にも見えないところで、

ただ、まっすぐに、芯を削り、文化を届けていく人。

私は、そう思っている。

8月15日──

日本が、自分の芯に静かに手を当てる日。

その日、誰が靖国を訪れるかで、

この国がどこを向いているのか、きっと見えてくる。

「鉄の女」が、そこに立っている光景を、私はどこかで思い描いてしまう。

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