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リバティアイランド──走る一葉

エピソードがない。
それが、最大のエピソードだった。

完璧すぎて、語れない馬がいた。
その走りは、まるで短編小説のようだった。
“お嬢さん”と呼ばれた彼女は、
誰にも真似できない走りで、競馬を文学に変えた。

リバティアイランド──樋口一葉のような馬

オークスだから、何か語りたかった。
だけど、リバティアイランドには
笑える話も、泣ける話も、驚く話も──なかった。

信頼できる。
ハラハラしない。
入線して当然。

強く、美しく、ぶれない。
問題を起こさず、迷わず、常に格の違う走りを見せる。
そう──「完璧すぎる」という、それ自体がすでに一つの物語。

普通の名馬なら、苦しんで、成長して、つかみ取る。
だけど、彼女は最初から完成していた。
だからこそ、そこに“人間くささ”はない。

けれど、人間の側が、彼女に惹かれていった。
川田騎手が「お嬢さん」と呼びかけたように。
最終コーナーでも、最終レースでも、彼女は品格を崩さなかった。

そうか──リバティアイランドとは、
「エピソードがない」ことが最大のエピソードなのだ。

そしてその走りは、まるで短編小説のようだった。
抑制された筆致で、けれど余白が深くて。
だれにも真似できない、
まるで──樋口一葉。

 

リバティアイランドの強さ

樋口一葉は、誰もが知っているはずだ。
いまや5,000円札の顔になった女性。

生活に苦しみながらも、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった名作を
わずか1年半、奇跡の14ヶ月で書き上げた。
そして、24歳──肺結核でこの世を去った。
没後に発表された『一葉日記』までも、文学として高く評価されている。

もし、リバティアイランドにそれをなぞらえるなら、
『桜花賞』『オークス』『秋華賞』──これが、一葉の「奇跡の三作」。
そして、『ジャパンカップ』は、たとえ敗れても評価される傑作。
“負けて強し”が、そのまま芸術になったような一戦だった。

一葉が「誰にも真似できない文体」で読者の心を打ったように、
リバティアイランドは「誰にも真似できない走り」で、競馬ファンの記憶に焼きついた。

 

一行で驚かせる者たち──子規が驚いた一葉、そして“お嬢さん”

「一葉の文は、一行書けば一行に驚き、また一行書けばまた一行に驚く。いったい一葉は何者ぞ」──正岡子規のこの言葉は、樋口一葉の文章に宿る“魂の強度”を語ったものだ。

一葉の文章は美しいと言われる。そして、決して、他のものがマネできない文章だ。
それはなぜか。型や技巧ではなく、魂で書いているからだ。

  • ① 美しすぎる言葉選び(語彙が深く、日本語の粋を極めている)
  • ② 人間観察の鋭さが、文に“体温”を与えている
  • ③ 文体そのものが一葉の「声」になっている

──そして、リバティアイランドは、まさにこれだった。

レース中、一間歩ごとにファンを驚かせた。

抜け出し方、末脚の鋭さ、フォームの美しさ──どれも完璧すぎて、ため息しか出なかった。

ファインプレーも、珍プレーも、彼女にはなかった。
桜花賞、オークス、秋華賞──どの勝ち方も非の打ち所がなく、ジャパンカップですら“負けて最強”の評価を受けた。

「これほどまでに強いのか」
FNNの実況が叫んだあのセリフは、子規が一葉に驚いた時の言葉に重なる。
あまりに整いすぎていて、逆に人間くささがない──それでも、見ている側が惹かれてしまうのは、魂が揺さぶられる何かがそこにあるからだ。

完璧な馬が、完璧な走りをする。
それは、完璧な文が、一行ずつ驚きを連れてくるようなものだ。

リバティアイランドは、“走る一葉”だった。
そして、彼女の走りは、もう二度と誰にも真似できない。

 

リバティアイランド──走る一葉

リバティアイランドの死について、私は語らない。
大切な人が亡くなったとき、葬式の記憶ではなく、
きっと、元気だった頃の笑顔を思い出すように。
ファンにとってのリバティアイランドは、今も走り続けている。

彼女は、桜花賞、オークス、秋華賞──三つの頂を駆け上がった。
ジャパンカップでは“世界最強馬”と並び立ち、堂々と2着。
ただそれだけの2年間だった。
だけど、そのすべてが奇跡だった。

樋口一葉の短く燃えた14ヶ月と重なるような、強く、美しい時間。
彼女の『にごりえ』には、こんな一文がある。

さればこの世の苦しみの種は、すべて女の身にのみ起こるにや。

この世の苦しみは、すべて女という存在に降りかかるものなのか──。
そう問いかけた一葉の筆の奥に、
どれほどの覚悟と痛みが込められていたのか。
リバティアイランドもまた、
その脚にすべてを預け、ただ黙って走っていた。

 

人は、強さ 美しさ 品格を求める

リバティアイランド──強さとは、品格である。
圧倒的な末脚と、どこまでも美しいフォームで突き進む姿は、まさに“孤高”。
彼女はただ速かったのではない。「格が違う」と思わせる走りを、
いつも我々の前で見せていた。完璧で、気高くて、かっこいい。
それが、リバティアイランドだ。

そして、これから先も、あの走りは忘れない。
競馬ファンの記憶に刻まれた“お嬢さん”は、永遠に走り続けている。

 

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