
NHKマイルカップの最強馬──エルコンドルパサー
1999年、ロンシャンの芝。
勝っていないのに、日本中が湧いた。
「あの2着は、勝ったよりもすごかった」と語り継がれる名レース──。
NHKマイルカップから始まり、ジャパンカップ制覇、そして凱旋門賞2着へ。
エルコンドルパサーの記録ではなく、記憶に残る走りを、もう一度語ろう。
目次
エルコンドルパサー──ウマ娘じゃ描けない“あの2着”の意味
「勝ったのか?」
いや、勝っていない。
でも、その年の凱旋門賞を見た日本中の競馬ファンは、こう叫んだ。
「最強だ」「ありがとう」「夢を見た」
エルコンドルパサーとの出会い
俺がエルコンドルパサーの馬券を初めて買ったのは、NHKマイルカップだ。
今でも記憶している。
枠連ではあったが、3-5の1点買いで仕留めた。
カンタンだった。エルコンドルパサーを軸に買えばいいのだ。
ただし、多点買いするとトリガミになる。だから、1点買い。
エルコンドルパサーは他馬を引き離し1着。
実況は叫んだ──「強いものは強い」
あの時点では、マイルでは敵なし。オールラウンダーだったと思う。
国内で唯一の敗戦──毎日王冠
エルコンドルパサーが唯一負けたレース、それが1998年の毎日王冠だ。
そう、あのサイレンススズカに、初めて負けた。
勝負は時の運だ。しかしエルコンドルパサーが負けた。
サイレンススズカが強いのか、エルコンドルパサーが負けたのか。
俺は「エルコンドルパサーが負けた」と思った方だった。
サイレンススズカは毎日王冠をステップに天皇賞・秋へ。
エルコンドルパサーは、遥か遠く、フランス・凱旋門賞へ。
フランス遠征という“無謀”
当時の海外遠征は、いわば観光レベル。
だがエルコン陣営は違った。本気の長期滞在だった。
調教師・二ノ宮敬宇は早くから現地入りし、気候・馬場・敵を研究し尽くした。
「この馬なら行ける」と信じて。
そしてサンクルー大賞(G1)で海外G1初制覇。
日本史上、初の「本気のローテーション」で凱旋門賞に挑む。
モンジューと、世界の壁
1999年、凱旋門賞。
1着・モンジューの斤量:56.5kg
エルコンドルパサーの斤量:59.5kg
この3kg差で、エルコンは逃げた。
残り300m──日本が夢を見る。
残り200m──実況が絶叫する。
残り100m──あの馬が来る。
イギリスダービー馬・モンジュー。
最後の最後で、エルコンドルパサーを交わした。
結果:モンジュー 1着、エルコンドルパサー 2着(3/4馬身差)
負けたのに、日本中が泣いた。
誰も悔しがらなかった。
それでも最強と呼ばれた。
「あの走りは、間違いなく世界の一線だった」
「日本の競馬が、世界に通じることを証明した」
「勝ってないけど、勝ったと思ってる」
逃げたことのない馬が逃げた
エルコンドルパサーが逃げた。
誰もが驚いた。
これは俺の空想だ。
毎日王冠で逃げ馬に敗れたエルコンドルパサーは、
きっと「もっと早く仕掛ければ…」と悔やんだはず。
だからこそ、世界最高の舞台で逃げた。
スズカを越えたかったのかもしれない。
ここからは、俺の空想だか、どうやっても、エルコンドルパサー逃げたはずだ。
エルコンドルよ。俺は理解しているよ。
国内で唯一負けた、毎日王冠で逃げ馬にやられた。
東京の長い直線なら、エルコンドルパサーにチャンスもあったはずだ。
サイレンススズカの背中を見て、君は、仕掛けが遅かったと思ったはずだ。
世界最高の舞台で、逃げきりで勝つ。
君はサイレンススズカよりも最強だと証明したかったはずだ。
あの斤量で、凱旋門賞を逃げた。でも、2着。
勝負は、結果がすべてだ。
しかしに、逃げるという勇気に関して、競馬ファンが熱狂したんだよ。
日本に帰国、そしてジャパンカップ
帰国後、ジャパンカップで3番人気で1着。
その時も、俺は馬券を買っていた。
ロンシャン競馬場では、日本馬にとって不利が多い:
- 馬場の重さ
- 高低差のあるコース
- 斤量差(3kg)
そんな中で、逃げて2着。
スピード重視の日本の競馬場で、彼に勝てる馬はいなかった。
調教も、血統も、枠も関係ない。
すべてを凌駕した馬──それがエルコンドルパサーだ。
交わらなかった夢
ジャパンカップを勝った頃、サイレンススズカはもうこの世にいなかった。
もし生きていたら──
スズカのベストの距離で、エルコンが「凱旋門賞帰りの脚」で逃げて勝ってほしかった。
「どうだ、これが世界を見てきた脚だよ」って。
記録ではなく、記憶として
エルコンドルパサーの記録──それは凱旋門賞2着。
でも、それ以上に記憶に残る馬だった。
この記事で彼の凱旋門賞を初めて知った人は、
ぜひYouTubeでレースを見てほしい。
ウマ娘ファンでも、競馬初心者でも構わない。
記録が破られたとき、彼の名が蘇る
将棋では藤井聡太が記録を次々と塗り替えるたび、
過去の名棋士が話題になる。
日本馬が凱旋門賞を勝つその日まで──
なぜ2着で「最強」と言われるのか?
競馬は着順がすべて──。
1着が勝者であり、2着は“負けた馬”。
そんな当たり前の価値観を覆したのが、エルコンドルパサーの凱旋門賞2着だった。
エルコンドルパサーは最強だと思っている
① 負けた相手が「伝説級」
モンジュー──イギリスダービー・アイリッシュダービー・凱旋門賞を制した欧州の怪物。
そんな馬を相手に、日本から遠征して斤量3kg重くて3/4馬身差。
その事実は、「実質互角だった」と世界中の競馬ファンが認めている。
② 日本馬の海外軽視を変えた
当時、欧州遠征は“観光”レベル。
だがエルコンは違った。
現地での調整・滞在・G1勝利──そして凱旋門賞2着。
それは、日本の競馬史にとって価値ある「突破口」だった。
③ 逃げたことのない馬が、逃げた
重馬場のロンシャンで、59.5kgを背負い、エルコンは逃げた。
誰よりも早く仕掛け、世界を驚かせ、日本に夢を見せた。
「負けたけれど、胸を張れる2着」──それが、ファンを熱狂させた理由だった。
「勝ってないけど、勝ったと思ってる」
──これは、ファンの妄言じゃない。
“心で勝った”と、みんな本気で信じていた。
だからこそ、この言葉が生きる──
「最強は、エルコンドルパサーだった」
エルコンドルパサー 全成績
日付 | レース名 | 距離 | 競馬場 | 着順 | 騎手 |
---|---|---|---|---|---|
1997/11/16 | 新馬戦 | 1800m | 東京 | 1着 | 蛯名正義 |
1997/12/14 | 500万下 | 1600m | 中山 | 1着 | 蛯名正義 |
1998/02/08 | 共同通信杯 | 1800m | 東京 | 1着 | 蛯名正義 |
1998/05/17 | NHKマイルカップ(G1) | 1600m | 東京 | 1着 | 蛯名正義 |
1998/06/14 | エルムS(OP) | 1700m(ダート) | 札幌 | 1着 | 蛯名正義 |
1998/10/11 | 毎日王冠(G2) | 1800m | 東京 | 2着 | 蛯名正義 |
1998/11/29 | ジャパンカップ(G1) | 2400m | 東京 | 1着 | 蛯名正義 |
1999/06/06 | イスパーン賞(G1) | 1850m | ロンシャン(仏) | 1着 | G.モッセ |
1999/07/04 | サンクルー大賞(G1) | 2400m | サンクルー(仏) | 1着 | G.モッセ |
1999/09/12 | フォワ賞(G2) | 2400m | ロンシャン(仏) | 1着 | G.モッセ |
1999/10/03 | 凱旋門賞(G1) | 2400m | ロンシャン(仏) | 2着 | G.モッセ |