
再現できない笑いは“芸”じゃない──僕が唯一愛する漫才師
一度ウケたネタが、二度とウケない──それは、芸ではなく運だ。
松本人志はかつて言った。「どれだけ面白いネタでも、3回やれば大衆は飽きる」と。
そして今なお、彼は振り返る。「あんなオモロいネタ書いたのに、ウケへんねん」と。
そのひとつが、こんなネタ。
「カレーは翌日が一番うまい。ジャガイモが溶け込んで、めちゃくちゃうまいねん」
……でも、誰も笑わない。
これは“同級生あるある”にすぎない。面白いのは「内容」ではなく、「松本人志だから」でしかない。
横山やすしはこう評した。「ダウンタウンは、チンピラの立ち話や」と。
僕は、この言葉に首を縦に振ってしまう。彼らが築いた功績は大きいが、あれは“再現できない”笑いだった。
目次
笑いに「型」はあるのか?
ある。
ノンスタイルの漫才を見てほしい。前半に仕込まれた伏線が、後半で一気に回収される。スベったら石田が拾い、テンポで盛り返す。“芸”とは、こういうものだ。
再現できる笑い。それが技術。教育と同じだ。良い授業は、再現できる。
笑いもまた、計算で成立する。
天才の真似は、凡人の敗北
ダウンタウンのような笑い方を真似すると、
- トーンだけ真似て「何言ってるか分からない人」になる
- アドリブ頼みで事故る
- 観客に“置いてけぼり”を食らわせる
これでは、営業で通用しないし、テレビにも出られない。
「計算できない笑い」は、プロじゃない。
じゃあ、どうすればいい?
台本で勝負しよう。計算された笑いは、地方でも、配信でも、確実に機能する。
- フリ → ズラし → 回収
- 共感 → 誤解 → ツッコミ
- 繰り返し → 変化 → 爆発
この順番を守れば、誰でも“ウケる漫才”がつくれる。
僕が愛する唯一の漫才師──夢路いとし・喜味こいし
今でも忘れられない漫才コンビがいる。夢路いとし・喜味こいし。
僕にとって、「お笑い」とはこの二人だった。
彼らの漫才には──暴力も、下ネタも、他人の悪口もない。
※ただし、互いの“嫁の悪口”だけは言っていた(笑)
それでも、どこまでも上品で、優しい。彼らが交わすのは、ただ淡々とした「僕と君」のやりとりだけ。
子供のころ、正直に言えば、まったく面白いと思わなかった。
でも、今なら分かる。本物の芸は、静かに人を引き付けるということを。
笑わせようとしない。でも、気づいたら笑っている。
「やり込んだネタは、新鮮な気持ちで」
いとし・こいしの二人には、こんな名言がある。
やり込んだネタは、新鮮な気持ちでやる。
新鮮なネタは、やり込んだ気持ちでやる。
そうすれば、お客さんはまた観に来てくれる。
この言葉に心から感動したのが、西川きよしさんだった。
彼はこう言っている。
「こんな大事なことを、いとも簡単に教えてくれる。いとし・こいしさんは、すごいというしかない」と。
たしかに、爆笑をとる芸もすごい。尖ったネタも、時には必要だ。
でも──時代が変わっても、心に残る芸は「静かで、深くて、あたたかい」。
僕が本当に憧れるのは、そんな芸を“淡々と”続けられる人たちだ。
そして、夢路いとし・喜味こいしは、まさにその頂点に立っていた。
📢 台本、売ります。
- 前半のフリが、後半で爆発する
- キャラが弱くても戦える「構造設計」
- 競馬ネタ、哲学ネタも少しスパイスに
- 地方営業やYouTubeでも使えるテンポ重視
笑いに自信がない芸人さんこそ、ネタで武装してください。
必要なのは「型」と「勇気」だけです。