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1973年10月、第四次中東戦争をきっかけに、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)がアメリカなど親イスラエル諸国への石油輸出を制限。
これにより原油価格は1バレル=約3ドルから12ドルへと約4倍に急騰し、世界的なインフレと経済混乱が発生しました。
当時、エネルギーの約8割を石油に依存していた日本経済は大打撃を受け、高度経済成長に急ブレーキがかかります。
そして首相・田中角栄は、推進していた「日本列島改造論」への逆風、物価高騰、財政悪化の中で、1974年12月に辞任に追い込まれた──。
この通説には、私は疑問を抱いている。
そもそも、オイルショックを引き起こしたのは本当に中東だけなのか?
むしろ背後にいたのは、アメリカの石油メジャー(エクソン・シェブロン・モービル)ではなかったのか?
当時の日本は、1ドル=360円という固定相場制の下にありました。これは、輸出産業にとって絶好の環境であり、まさに「高度経済成長の原動力」でした。
この制度の前提となっていたのが、金=ドルの交換保証です。ドルは“金と交換可能な通貨”であり、「世界の基軸通貨」として信頼されていたのです。
しかし1971年、アメリカは「ドルと金の交換停止」を発表。
このニクソン・ショックにより、金本位制は崩壊し、ドルは「ただの紙切れ」へと変わった
ここでアメリカが最も恐れたのは、「ドル離れ」
そこで彼らが構築したのが、いわゆる「ペトロダラー体制」でした。
アメリカはOPEC産油国に圧力をかけ、「原油は必ずドル建てで取引せよ」と通達。
こうして、石油=ドルという新たな支配構造が生まれました。
結果として、石油を必要とする日本や欧州は、ドルを保有せざるを得なくなったのです。
アメリカは、かつて原爆を投下したこの“東洋の島国”が、再び世界経済の主役に躍り出ることに、
本能的な警戒と反発を抱いていたのかもしれない。
田中角栄が推進した「日本列島改造論」は、単なるインフラ整備ではなく、エネルギーと物流の国家戦略でもありました。
その中で角栄は、アメリカを通さず中東と直接交渉を進めようとしていたのです。
🔍 角栄の行動と“もうひとつの外交戦”
「日本列島改造論」は、単なる国内のインフラ整備ではなかった。
それは、エネルギー資源の確保を含む、国家戦略そのものだった。
オイルショックにより、中東からの石油輸入が不安定になった日本にとって、
アラブ産油国との直接交渉は不可避となる。
その時、外務大臣を務めていたのが、のちに首相となる三木武夫である。
そして、ここで登場するのが、当時三木外相の通訳を務めた**小池百合子氏(現・東京都知事)**である。
若き日の彼女が、アラビア語通訳として外交の最前線に立っていたことは、あまり知られていない。
あまり表には出てこないが、三木外相の秘書(付き人)が2人、相次いで変死したという記録がある。
この件については、表立った報道も少なく、真相は明らかではない。
しかし、CIAが関与したのではないかという噂が根強く残っている。
それが本当だとすれば――
田中角栄が「アメリカを通さず中東と直接交渉しようとした」こと、
そして「日本列島改造論を止めなかったこと」こそが、
アメリカにとって“許されざる行為”だった可能性がある。
田中角栄は、日本独自の外交でこの危機を乗り切りました。
しかしその「現場主義」と「行動力」こそが、アメリカの逆鱗に触れたのではないか。
オイルショックの裏にある通貨・資源・情報をめぐる構造を理解すれば、
角栄失脚の意味がまったく違って見えてくる
これは“偶然の経済危機”ではなかった。
角栄の“独立外交”が、アメリカにとって「許されざる存在」だったのだ。
🔜 次回予告:「誰が田中角栄を撃ったのか?――背後のフィクサーと沈黙の構造」
田中角栄を葬ったのは、果たして“司法”だったのか?
それとも――背後で糸を引いた“見えざる権力”か?
児玉誉士夫、小佐野賢治、CIA、財界、右翼団体──
ロッキード事件の背後に浮かび上がる、謎のネットワーク。
・なぜ児玉は「政界の黒幕」と呼ばれたのか?
・CIAと日本の情報機関の不可視な関係とは?
・「口を閉ざしたまま死んだ者たち」が意味するものは?
沈黙の奥にある“構造”を解き明かす、第3回――
「誰が田中角栄を撃ったのか?」
どうぞお楽しみに。
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