【思い出の皐月賞】あの日、叫ばずにはいられなかった──ノーリーズンと私の皐月賞
スポンサーリンク

2歳牡馬にとって、クラシックレースは夢の舞台だ。
皐月賞
東京優駿日本ダービー
菊花賞

3歳牡馬にとって、クラシック三冠レース──皐月賞、日本ダービー(東京優駿)、菊花賞──の制覇は、誰もが夢見る栄光です。

ですが、その三冠をすべて勝つことは、簡単なことではありません。

その中でも、皐月賞は「もっとも仕上がりの早い馬が勝つ」と言われています。

皆さんの思い出の皐月賞はありますか?

理由なんて、いらなかった。──ノーリーズン、栄光と切なさの記憶

 

春のG1「皐月賞」。
クラシック三冠の第一戦として、多くの人が注目するこのレース。
でも、私にとって皐月賞といえば、2002年のあのレースしか思い浮かびません。

その名も──ノーリーズン(No Reason)。

当時、競馬を深く知らなかった私にとって、ノーリーズンの名前は妙に引っかかるものでした。
「理由がないって、なんか面白い名前だな」と、そんな軽い印象。

でも、あのレースを見た瞬間から、ノーリーズンは「ただの馬の名前」じゃなくなったんです。


忘れられない、あの直線

2002年の皐月賞。
人気はバランスオブゲームやタイガービーカフェに集まって、後に日本ダーを制するタニノギムレットも出ていました。

ノーリーズンは15番人気という、完全な伏兵でした。

ゲートが開いて、ノーリーズンは馬郡の中。
「この位置からじゃ、どうせ届かないだろうな…」

そう思って見ていたその時でした。
直線、馬場の真ん中を通って、グングン伸びてくる黒い馬体。
実況が叫ぶ。「ノーリーズンだ! ノーリーズンが来たーっ!!」

信じられなかった。
気づけば私は、テレビの前で立ち上がって叫んでいました。

直助

「マジかよ、ノーリーズンだ!」

 

 

馬券を買っていたわけじゃない。
でも、心が震えた。全身が熱くなった。

あの一頭が、あのレースが、私にとっての「競馬」になった。
結果を超えた「物語」があるんだなって、初めて知った瞬間でした。

 

2002年の皐月賞の配当

単勝 2番 11,590円

複勝 2番   1,970円
   9番  450円
   11番 130円

馬連 53,090円

 


そして、忘れられないもう一つのレース

ノーリーズンの2002年は、まさにドラマそのものでした。
春は皐月賞で真ん中を突き抜けて一気の衝撃勝利。
そして秋──クラシック最終戦・菊花賞。

多くのファンが「三冠最後の舞台で、また奇跡を見せてくれるかもしれない」と期待していました。

ところが、ゲートが開いたその瞬間──ノーリーズンはまさかの落馬。

出走前の出来事ではなく、スタート直後に訪れた衝撃。あまりに切ない結末でした。

皐月賞であれほどの奇跡を見せた馬が、淀3,000メートルを、走り切ることはできなかったのです。

あの一瞬の輝きは、今も私の記憶の中で走り続けています。

結局、ノーリーズンは、皐月賞で、大駆け抜けをして、単勝万馬券を演出。

しかし、菊花賞では、ノーリーズンが落馬して、大波乱を演出。

これこそが、競馬の本質。
恐ろしさと、楽しさ。
それを象徴する存在──それがノーリーズンだったのかもしれません。

 


理由なんて、いらなかった

ノーリーズン。
その名のとおり、「理由なんてない」かもしれない。

でも確かに、あのレースが私の心を動かした。
そして、あの挫折までもが、彼の物語を深く刻んだ。

1着と、落馬で、波乱を演出したのは、私の記憶では、ノーリーズンのみだ。

今年もまた、皐月賞の季節がやってくる。
どんな馬が勝っても、どんな展開でも──
私は、あの日のノーリーズンを胸に、テレビの前に座るだろう。

直助

理由なんて、いらない。あの日の感動が、今も走っている。

 

 

菊花賞を観戦していた心境

ノーリーズンの皐月賞は、自宅で観戦していたが、菊花賞は、ジムで、ランニングマシーンで走りながら観戦していた。
当然、ノーリーズンの馬券は買っていたが、落馬の結果が実況され、走るのをやめた。
俺も、ノーリーズン。
不思議と、怒りはなかった。

少し、天井を見上げて、そして、つぶやいた。

直助

また、お前かよ(笑)この万馬券野郎が!

 

 

2002年の皐月賞です

 

 

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事