「初の女性総理が誕生した日、私はなぜ静けさに違和感を覚えたのか」
スポンサーリンク

ついに、日本で初の女性総理が誕生した

高市早苗総裁、おめでとうございます──と、心から言いたい。
だが、どうしても腑に落ちない点がある。

🤔 問題提起:なぜ、世の中はこんなにも静かなのか?

ついに、日本初の女性総理が誕生した──高市早苗総理の誕生は、歴史的な出来事である。
本来なら、女性の権利向上やジェンダー平等を訴えてきた人々が、もっと大きな声で祝福していてもいいはずだ。
だが、今回に限っては、まるで水を打ったような沈黙が続いている。

あの、土井たか子氏が参議院議員で総理に首班指名されたときは、社会全体がもっと騒然としていた記憶がある。
女性が首相候補として本気で指名される──それだけで、当時は「前例がない」として注目を集めた。

今回、高市氏が首相に指名されたのは、自民党総裁としてであり、しかも与党の正式なルートだ。
いわば“正統な手続き”を経て、日本の頂点に立ったのだ。

様々な女性総理候補がこれまで話題に上がってきた中で、ついに実現した“女性初の総理”。
一国民として、私も心からうれしいと感じている。

🎯 現実的な視点:夫婦別姓の議論と高市氏の姿勢

ただ一方で、夫婦別姓の問題に関して、高市総理のスタンスは明確だ。
この法案が彼女の下で通ることは、恐らくないだろう。

だが、先日観たAbemaTVの討論番組での高市氏の発言には、思わず「スジが通っている」と感じた。
「パスポートに旧姓の併記があれば、何も困ったことはない」──その言葉には、実際に海外での経験があるからこその説得力があった。

おそらく、あの討論の中で、高市氏ほど海外渡航経験が豊富な人物はいなかったのではないか。
一方で他の出演者が「入国審査で不便がある」と主張していたが、私にはピンとこなかった。

入国審査というのは、パスポートの名前だけではなく、その人の態度や雰囲気、つまり“人間性”も見ている場だ。
あの係員たちは、ただの窓口業務ではない。国の“目”なのだ。

 

🌐 今は“名前”より“情報”で人は特定される

いまや、SNS、ニュース、検索エンジン、あらゆる情報がつながっている時代だ。
ちょっとした情報──たとえば顔写真、職歴、所属団体──が出ただけで、誰かを特定するのは容易になっている。

苗字が変わったくらいで、「検索されにくくなる」「過去が見えなくなる」なんて、もはや幻想に近い。

それどころか、名前が変わってもすぐに「旧姓は○○さんでしょ?」と特定されてしまう。
つまり、本当に評価されている人であれば、苗字の変更なんて関係ない。

💬 ズバリ言おう:検索されないなら、それまでの人間だ

もし、苗字が変わっただけで検索されなくなったなら──
それは、「もともとそんなに社会から注目されていなかった」「本質的な評価を得ていなかった」だけのことだ。

つまり、“人気”や“実力”があれば、名前が変わっても人は探してくるし、注目してくれる。

👪「夫婦別姓=女性の権利」だけでは語れない

誤解しないでほしい。私は、夫婦別姓に必ずしも反対しているわけではない。
実際、離婚後の姓の扱いや、旧姓使用の自由など、見直すべき点は多くあると思っている。

ただ、それでも一つ考えてほしいことがある。
家族法というものは、あくまで“子どもの福祉”を第一に考えて存在しているべきではないか?

🧒 子どもから見た「名前の違い」

たとえば、こんな場面を想像してみてほしい。
2歳の子どもがこう尋ねてきたとする:

「ねぇ、お父さんとお母さんの名前、なんで違うの?」

そのとき、どんな言葉で説明するのだろうか?
「ママは自分らしさを大事にしたかったからよ」──それは大人の理屈であって、果たして幼い子どもにとって納得のいく答えだろうか?

🧭 アイデンティティ vs 安心感

旧姓を使いたいという気持ちも理解できる。
アイデンティティとして大切にしてきた名前を守りたいという思いも当然だ。

でもその一方で、家庭の中で、姓が違うことによる子どもの混乱や不安という視点が、あまりにも置き去りにされてはいないだろうか?

家族という小さな社会の中で、名前は“つながり”の象徴でもある。
その象徴を大人の「権利」だけで語ってしまっていいのか──私はそこに疑問を感じている。

⛩ 靖国神社参拝──それは外交問題ではない

 

高市早苗総裁はこう語っている。
「靖国参拝は、外交問題にすべきではない。」

私は、この言葉に強く同意する。
これは、他国による“内政干渉”に近い行為ではないかと思うからだ。

すでに太平洋戦争が終結してから、70年以上の歳月が流れている。
たとえ、当時の日本が他国に対して侵略的な行為を行った側面があったとしても──
その責任を、孫や曾孫の世代にまで背負わせる必要があるのだろうか?

📜 歴史の評価と、哀悼の意は別物である

私がさらに違和感を覚えるのは、日本人の一部までもが「日本は侵略戦争をした」と無批判に信じてしまっていることだ。
これは、戦後教育や国際社会との関係の中で植え付けられた“ある種の観念”ではないか?

もちろん、戦争は決して繰り返してはならない。
だが同時に、戦争には「どちらにも言い分がある」という視点を、忘れてはいけないと思う。

そして何より、自らの命を祖国のために捧げた英霊に対し、国のリーダーが哀悼の意を捧げる。
この行為自体が、なぜ非難されなければならないのか?

📅 日にちの問題?それなら毎日参拝すればいい

「8月15日に参拝するのが問題だ」と言う人もいる。
ならば、毎日参拝すればいいのではないか。
そうなれば、誰も“特定の日の政治的意味”を持ち出すこともできない。

靖国神社への参拝は、戦争を美化する行為ではない。
過去を学び、未来へ平和をつなぐための、記憶と敬意の行為であるべきだ。

 

 保守とはなにか?──父の言葉と刺身の記憶から

 

俺のオヤジは、釣りが好きだった。
魚を釣って帰ってきた日は、よく俺に刺身をふるまってくれた。

でも、ある日──魚があるのに刺身が出てこない日があった。

「今日はなんで刺身がないの?」と聞いたら、
オヤジはこう言った。

「この魚は、昔の人が刺身で食べない魚なんだ。」

あのときはよくわからなかったけれど、今ならはっきりわかる。
これはただの食の話じゃない。
“昔からの知恵”を大事にすること──それが保守なんだ。

🧭 保守は、固執ではない。温故知新だ。

保守とは、何かに“頑なにしがみつく”ことではない。
「古きを知り、新しきを知る」=温故知新の精神こそ、本当の保守だ。

日本人は勤勉で柔軟だ。
伝統を守りつつ、新しい価値観やテクノロジーを巧みに取り入れてきた民族だ。
明治維新も、大正デモクラシーも、高度経済成長もそうだった。

変化を恐れず、それでも根っこの価値を忘れない
それが、俺の思う「保守」であり、日本人の強さだと思う。

✅ 締めの言葉:

「この魚は、昔の人が刺身で食べないんだ。」
あの日の父の言葉が、今の俺の思想の根っこにある。
それは、未来を閉ざすための言葉ではなく──未来を支える“文化の記憶”だった。

🎌 高市早苗総裁に期待すること

私が高市早苗総裁に最も期待しているのは、「新しい日本の仕組み」を作ってほしいということだ。

🔥 焼け野原から立ち上がった日本

あの戦後の焼け野原から、たった50年で世界有数の経済大国にまで復興を遂げた日本人の力。
それは、ただ経済的な成長だけではない。
困難な状況でも、決して誇りを失わなかった庶民の力強さ、気高さの賜物だった。

池田隼人総理はかつてこう言った。

「貧乏人は米を食うな」

今の時代なら、間違いなく炎上どころか、暴動が起きてもおかしくない発言だろう。

しかし、私の母はこう言った。

「仕方がないから、イモとカボチャを食べたよ」

それが当時の日本人の“普通”だった。
どんなに貧しくても、ただ、ただ、忍び、そして誇りを失わなかった。

🌱 未来に託すアイデンティティ

今の日本が忘れかけているこの精神──
「我慢」と「誇り」、そして「共に生きる知恵」。
それこそが、日本人が長年守ってきた、本当のアイデンティティなのではないか。

高市早苗総裁には、この精神を次の時代に継承するような政治を、ぜひ実現してほしい。
それは、「古い価値観への回帰」ではない。
「未来へつなぐ、知恵と誇り」だと思う。

✅ 締めの言葉:

焼け野原から立ち上がったように、
今の時代も、もう一度“心”から立ち上がるときだ。
その先頭に立てるのが、私は高市早苗氏であると信じている。

 

 

Xでフォローしよう

おすすめの記事