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1973年、第四次中東戦争を契機に、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、親イスラエル国家への石油輸出を制限し、世界を巻き込んだエネルギー危機──第一次オイルショックが発生しました。
エネルギーの8割を石油に依存していた日本は深刻な混乱に陥りますが、当時の首相・田中角栄はアメリカを通さず、独自にアラブ諸国と交渉し、石油供給ルートを確保する外交に踏み切ります。
この“中東歴訪外交”は日本に石油の安定供給という成果をもたらしましたが、裏を返せば、アメリカの「ドルによるエネルギー支配」や「中東外交戦略」を脅かす行為でもありました。
1974年、田中角栄は表向きにはインフレや財政悪化を理由に首相辞任を余儀なくされますが、政界では「アメリカの圧力による角栄降ろし」が語られ始めていました。
そして1976年、アメリカ上院で突如ロッキード社による海外贈賄事件が暴露され、日本の元首相「KAKUEI TANAKA」の名が表に出されるという衝撃の展開が起こります。
単なるスキャンダルでは済まされない、国家と国家の力学が背後にあったとする視点が、今でも根強く存在しています。
当時、戦後の日本はGHQ(連合国軍総司令部)の指令により航空機製造を事実上封印されていました。国産旅客機YS-11は生まれましたが商業的に失敗し、次に日本の航空会社が目を向けたのが海外製旅客機です。
このとき、ロッキード社はL-1011 トライスターという新型中型ジェット機の販売に苦戦しており、日本市場をどうしても取り込みたいという強い意図を持っていました。
「日本が買えば他国も買う」という戦略の下、全日空(ANA)を説得するためには、日本の政界に強い影響力を持つ田中角栄の承認が不可欠でした。
第一次オイルショックの最中、アメリカはこうメッセージを発したとされます。
石油は出してやる。だが飛行機はロッキードから買え。
田中政権はこの交換条件を受け入れた形で、ロッキードのトライスター導入が決まり、同時に“裏金”が政界に流れた──これがロッキード事件の大まかな構図です。
ここでの裏金5億円は、単なる汚職ではなく、国際政治・エネルギー戦略・外交的圧力の“副産物”だったという見方もあります。
田中角栄は、裁判でも詳細を語ろうとせず、「話せば日本が潰れる」と語ったとされています。
彼が黙ったのは、「カネ」ではなく「構造」の問題──つまり、アメリカによる日本支配の実態を隠すためだったのかもしれません。
田中角栄は、アメリカの意向に左右されない“日本型の自立”を目指していました。その理想を実現するためには、表のルートでは動かせない「金」「情報」「人脈」が必要でした。
児玉と小佐野は、そのための装置だったのです。彼らは“角栄の味方”でありながら、アメリカとも取引する“裏の外交官”として動いていました。
小佐野も児玉も、アメリカから圧力を受けながらも、角栄を売らなかった。
それは利害だけでなく、「戦後の本流(=官僚・外務省・東大閥)」に対抗するという共通意識、そして“義理”の文化があったからかもしれません。
この支配構造に抗おうとした田中角栄は、「経済」「軍事」「情報」が交差する冷徹な構造のなかで粛清された。
そして、小佐野も児玉も沈黙を選んだ。彼らの沈黙こそが、戦後日本の「主権の不在」を物語っていたのではないでしょうか。
ロッキード事件を「政治家の金銭スキャンダル」として片付けるのは簡単です。
だが、本当に田中角栄は“カネが目当て”だったのか?
次回は、「角栄とカネ」の本質──カネは目的だったのか、それとも手段だったのか?──を深掘りしていきます。
📘 本シリーズはnote・ブログにて継続連載中です。
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