
目次
第1章:裁かれる総理経験者──一審・二審・最高裁の攻防
田中角栄という巨人が、法廷の被告席に座った。
政界の頂点に上り詰めた男が、今やスーツ姿で裁判官と検察官を見据え、沈黙を守りながらも自らの潔白を主張する。これは日本政治における、かつてない光景だった。
◆ 一審・東京地裁(1983年):有罪判決と「推認の壁」
裁判は7年の長きに及んだ末、1983年10月12日、東京地裁は田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決を下した。
判決理由の中で裁判所は、「児玉誉士夫を通じてロッキード社から政治資金名目で賄賂を受け取った」と“推認”した。
ここで注目すべきは、直接証拠の不在である。
5億円の授受に関しては、実際に金銭の受け渡しを目撃した者もおらず、現金が田中本人の口座に入金された記録も見つかっていない。
しかし裁判所は、「児玉→小佐野→田中」という金の流れが“合理的に認定できる”として、有罪を言い渡した。
一方、田中は最後まで沈黙を貫いた。
「証拠がない限り、自分は語らない」――この姿勢は支持者の間では「不屈の男」と称賛されたが、世論からは「説明責任を果たしていない」との批判も根強かった。
◆ 二審・東京高裁(1987年):弁護側の反撃と証拠の再検証
田中側は即座に控訴。1987年7月、東京高裁は一審判決を支持し、控訴棄却。有罪判決が維持された。
弁護団は、証拠の信頼性、特に小佐野賢治の供述の不自然さや、児玉が一切証言に出てこなかったことを中心に反論したが、司法は再び「状況証拠の積み重ね」による“事実の認定”を重視した。
また、弁護団が主張した「ロッキード事件は日米政治の思惑に巻き込まれた国際政治スキャンダルであり、田中一人の責任に還元できない」という論点も、裁判所は受け入れなかった。
◆ 最高裁(1993年):“角栄時代”の幕が閉じる
1993年2月25日、最高裁は上告を棄却し、懲役4年の実刑が確定。
この日、日本の戦後政治における一つの時代が、静かに幕を下ろした。
ただし、皮肉なことにこの年の夏、長年田中派が支えてきた自民党政権が崩壊し、細川連立内閣が誕生。
政治改革の号令のもと「政治とカネ」への厳しい視線が再び注がれる中で、ロッキード裁判の判決は象徴的な意味を持った。
◆ 判決確定後も消えなかった“角栄の影”
判決確定後、田中角栄は政界を引退。
しかし、彼のもとには今なお忠誠を誓う議員が多く、いわゆる「田中派」(のちの経世会)は竹下登、小渕恵三、橋本龍太郎らを総理に押し上げる“影の政権”として動き続けた。
法廷では有罪とされた男が、政界では依然として強い影響力を残していた。
この現象は、司法と政治の“ねじれ”を象徴しているともいえる。
第2章:証言台に立った人々──児玉誉士夫、小佐野賢治、丸紅関係者
ロッキード事件の真相に迫るには、「金の流れ」を明らかにする必要があった。
しかし、法廷に呼ばれたキーマンたちは、一様に真実を語ることを拒んだ。
それは、まるで国家の奥深くに横たわる「暗部」を覆い隠すかのようだった。
◆ 児玉誉士夫──沈黙のフィクサー
事件の中核にいたのは、右翼の黒幕とも言われた男・児玉誉士夫である。
彼は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)に協力し、米国の対日諜報ネットワークにも関与したとされるフィクサーであり、政界・財界・右翼に絶大な影響力を持っていた。
ロッキード社が児玉に支払った資金は、21億円にのぼる。
この莫大な金が、全日空へのL-1011導入のための「工作資金」として動かされ、その一部が田中角栄に渡った――と検察は主張した。
だが、児玉は病を理由に証人尋問への出廷を拒否。
入退院を繰り返し、結局、彼が法廷で証言台に立つことは一度もなかった。
◆ 小佐野賢治──「記憶にございません」の連発
もう一人の重要人物が、小佐野賢治。
児玉の側近であり、国際興業グループの総帥として運輸業界に広く影響を持っていた。
彼は児玉から資金を預かり、その一部を「政治工作」に使用したとされる“実行役”である。
しかし、小佐野は国会の証人喚問の場で、「記憶にございません」を繰り返した。
この言葉は一躍流行語となり、政治不信を象徴する“記号”として国民の記憶に焼き付いた。
◆ 丸紅関係者──“商社マンたち”の法廷証言
ロッキード社のC-130輸送機導入をめぐる「丸紅ルート」では、総合商社・丸紅の幹部や担当者が多数起訴・証言を行った。
ある商社マンは、「当時の商社では、政治家への“営業活動”は常態化していた」と証言。
裏金作り、現金の手渡し、接待──それらの“業界慣行”は、グレーゾーンとして容認されていたという。
◆ “真相”が法廷で明かされることはなかった
こうして、事件の中核を担った者たちの多くが沈黙し、あるいは曖昧な供述に終始した。
その結果、田中角栄の有罪判決は「状況証拠」によって支えられた“推認”にすぎず、決定的な証拠は最後まで提示されなかった。
ロッキード事件とは、法廷で“すべての真実が語られることのなかった事件”である。
証言台に立たなかった者たち、あるいは記憶を失ったふりをした者たちの背後には、国家の深層が広がっていた。
第3章:誰が角栄を追い詰めたのか?──政治裁判としての側面
ロッキード事件の裁判は、形式上は「外国企業からの贈賄事件」だった。
しかし、その舞台裏には、単なる刑事事件を超えた巨大な政治力学が渦巻いていた。
田中角栄は、果たして単なる“金権政治家”だったのか。
あるいは、もっと別の力によって法廷に引きずり出されたのではないか――。
その問いは、いまなお歴史の中で燻り続けている。
◆ 検察の背後に米国の影──「日米合同捜査」という名の圧力
ロッキード事件は、もともとアメリカの議会調査から発覚した事件だった。
ウォーターゲート事件以後、米国内では企業の海外贈賄が強く批判され、ロッキード社に対する追及は「米国の国益回復」の象徴ともなっていた。
その流れの中で、日本の検察は“米議会で明かされた証言”を手がかりに捜査を開始する。
しかし実際には、CIAやFBIが握っていた情報、さらには日本の政界人脈に関する資料の一部が、日本の法務当局に“共有”されていたともいわれている。
この情報提供の動きは、単なる捜査協力にとどまらず、「日本の特定政治勢力への牽制」という国際政治の圧力装置としても機能していた可能性がある。
とりわけ注目されるのが、親米路線に傾きすぎず、独自の外交戦略(中国との接近、資源外交)を模索していた田中角栄が“標的”にされたのではないかという見方である。
◆ 国内政治の思惑──「角栄潰し」は誰の利益だったのか
田中が総理を辞任したのは1974年。ロッキード事件が表面化したのはその2年後。
この間、田中の政治力は依然として絶大で、派閥を支配し、後継総理に大きな影響力を持ち続けていた。
そんな中、彼を政治の表舞台から排除することは、
- 角栄に押さえ込まれていた「旧主流派(福田赳夫ら)」
- 派閥再編を狙っていた「中曽根康弘」や竹下登
- そして田中支配の打破を望む「官僚機構」
――彼らにとっては“願ってもないチャンス”であった。
とくに東京地検特捜部は、「国策捜査」として動いたのではないかという疑念が今も残る。
検察が事件の全貌を解明するというより、“田中を政治的に葬る”ために動いたのではないか――そんな視点が、後年の政治評論家の間でたびたび語られている。
◆ 裁かれたのは「カネ」か、「国家戦略」か
田中が進めた政策――列島改造論、資源外交、対中接近――これらはすべて、戦後の親米・親官僚体制とは一線を画すものだった。
特に1972年の日中国交正常化は、当時の米国からすれば「想定外の独走」として警戒された側面もある。
このように、田中の“国家戦略”は時にアメリカや官僚の利害と衝突し、それが彼に対する“政治的圧力”となっていった。
ロッキード事件は、そうした文脈の中で発火した「火種」だったと見ることもできる。
つまり、この裁判は単なる賄賂の有無を問うものではなく、
“田中角栄という異端の権力者を、誰が、なぜ排除しようとしたのか”という、極めて政治的な意味合いを帯びていたのである。
第4章:もし最高裁がロッキード事件の判決を書いたら──“司法の声”による総括
これはフィクションである。
だが、もし最高裁が事件の本質にまで踏み込む意志を持っていたならば──こんな判決文が書かれていたかもしれない。
⚖ 仮想・最高裁判決要旨(要約)
主文:
被告人・田中角栄を懲役4年に処す。追徴金5億円。
理由:
本件は、戦後日本政治の根幹に関わる重大事件である。
外国企業(ロッキード社)からの巨額資金が、政界中枢に流入した事実は、我が国の主権と政治的独立性に重大な影響を及ぼすものである。
この判決でなければ、世間は納得しない。
だが――ちょっと待ってほしい。
俺は、執行猶予が付くと思っている。
◆ 最高裁とは何か──誰が裁判官を選ぶのか
最高裁の長官は、内閣が指名し、天皇が任命する。
他の裁判官も、すべて内閣が任命する。
つまり──最高裁の全員が「内閣の息がかかった存在」なのだ。
独立しているように見えて、実は“行政の影”がちらつく構造。
だからこそ、ロッキード事件の「政治的判決」は、出なかった。いや、出せなかったのではないか。
このことを、私は並木俊守教授から聞いた。
大学の商法の授業中、突然語りだしたロッキード事件の裏話。
教授は司法試験・会計士試験を突破し、SONY・高島屋など一流企業の顧問弁護士を歴任した法律家だ。
その男が、講義の合間に“危ない話”をしてくれるのが、学生として何より楽しかった。
◆ 梶山静六の発言──法務大臣の“謎の免責”
1990年9月1日。
法務大臣だった梶山静六は、外国人不法就労者の摘発視察の帰り、記者会見でこう言い放った。
「アメリカに黒が入って白が追い出されるように、混住地になっている」
……これは、どう考えても辞任案件だ。
だが、彼は辞任しなかった。
なぜか?
田中角栄に、執行猶予をつけるために、何かと引き換えに沈黙したのではないか。
あるいは、最高裁に無罪を書かせる“環境整備”だったのかもしれない。
◆ 沈黙の男たち──田中、小佐野、児玉
ロッキードの商社マンたちが次々と自白する中で、
田中角栄は沈黙を貫いた。小佐野賢治も、児玉誉士夫も、語らなかった。
彼らは口を閉ざした。
だが、その沈黙には「逃げ」ではない何かがあったと思う。
戦争を経験し、貧しさの中から這い上がってきた男たち。
利害のためだけではない、“信念”としての沈黙。
たとえ国家の暗部にいたとしても、彼らなりの「筋」があったのではないか。
俺は知らん。判決など、勝手に書け。
田中角栄は、最高裁の裁判官にも媚びることなく、
自宅で肉じゃがと庶民的なウィスキーを飲み、
静かに雪の夜を過ごしていたに違いない。
あれほどの男が、最後まで「オレは貰ってない」と言い張り、語らなかった。
それだけで、もう十分だ。
俺の大好きな、新潟のジジイだ。
だからこそ、教授のあの言葉が忘れられない。
「田中角栄を、もう許してやってください。
あの5億円は、貰いたくて貰った金じゃない。」
🕊 次回予告
「参議院選挙と中国の静かな侵略」
――なぜ、我々は気づかぬふりをしているのか?
田中角栄が沈黙を貫いた時代、
日本はまだ「主権」という言葉に重みを感じていた。
では、今はどうか?
いま、私たちは「戦争」ではないかたちで、
静かに、確実に、侵略されているのかもしれない。
それは、爆弾ではない。
銃声でもない。
目に見えない侵略――
それは、経済、情報、移民、買収、ロビーによって行われている。
そして、その影はすでに国会と選挙にも忍び寄っている。
2025年、参議院選挙を前に、
誰が候補者を支え、
誰が世論を動かし、
誰が沈黙を望んでいるのか。
ロッキード事件から半世紀、
新たな“外圧”のかたちが、日本の足元を侵食している。
次回は、
「田中角栄を葬った力」が、
いま、どのように日本を覆っているのかに迫ります。







