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田中角栄は、戦後日本の経済を大きく前進させた「実行力の政治家」として知られている。
地方を重視し、都市偏重の国土開発に一石を投じ、「日本列島改造論」という大胆な国家ビジョンを掲げた。
しかし、栄光の裏には必ず影がある。
その絶頂の裏側で、戦後最大の政治スキャンダル――ロッキード事件が発覚する。
今回は、角栄が築いた成功と転落の軌跡を、時代の流れとともに振り返る。
1972年、田中角栄は内閣総理大臣に就任。
就任早々、彼は圧倒的なスピードで政策を推し進めた。
これらはすべて、地方にこそ成長の可能性があるという「分権型国家」のビジョンに基づくものだった。
とくに地元・新潟を起点とする上越新幹線や関越自動車道は、彼の政治的意志の象徴といえる。
こうした政策によって、都市だけでなく地方も経済成長の恩恵を受け、日本全体の高度経済成長が加速した。
その時、日本はすでに“戦後”ではなかった。
アメリカの誤算は、ここにあった。
占領政策の延長として、形式上は独立を認めながらも、極東の安定と自国の軍事的利益のために「管理下に置かれる日本」──つまり、属国化されたままの日本を想定していた。
だが、角栄は違った。
彼は「日本独自の判断」で外交・経済政策を動かす、真の自主独立国家を目指し始めていた。
アメリカが一番恐れていたのは、日本のナショナリズムだった。
だからこそ、牙を抜く必要があった。
だが、日本人の根底には、武士道精神が流れていた。
シベリアで強制労働させられた日本人でさえ、手を抜かずに働いたという。
その精神こそが、焦土と化したこの国を、驚異的な速度で再建した原動力だった。
当時、日本は1ドル=360円の固定為替制度のもとにあった。
この超円安レートが、高度経済成長を支える輸出産業の礎となった。
「このレートがなければ、高度経済成長はなかった」と言われるほどである。
ちなみに俺の実家は北海道・小樽だが、祖母からはこんな話を聞いた。
「下駄を探すのに、暗くて見つからなくて、1円札を燃やして灯りにしたんだよ」
それほどまでに貨幣の価値が軽かった時代、けれど“未来”には重みがあったのだ。
角栄の実行力は、巨大な派閥「田中派」によって支えられていた。
117人を超える与党議員を抱え、予算と引き換えに忠誠を得る仕組み。
だがその裏で、選挙・支持者対策・公共事業──
あらゆる政治活動が“カネ”に依存していく。
1976年2月、アメリカ上院でロッキード社の贈賄証言が公になった。
その中には、KAKUEI TANAKAの名前があった。
東京地検は驚愕する。「これは……日本の元総理の名ではないか?」
その後、異例のスピードで捜査が進み、角栄は5億円の賄賂を受け取ったとして逮捕・起訴された。
ここで、多くの人が見落としているのはタイミングである。
あまりに出来すぎていないか?
これは、“戦争”だ。
銃も爆弾もいらない、経済と情報による戦争。
アメリカは、今度は原爆ではなく、経済と世論で角栄を葬り、日本を“従属国家”へ戻そうとしたのだ。
奪われる痛みは、最初から無いことより深い。
角栄が背負っていたのは、地方の声と、日本人としての誇りだった。
だが、それを破壊したのは、外からの圧力だけだったのだろうか?
それとも、内側から蝕んだ「日本の政治システム」だったのか?
児玉誉士夫、小佐野賢治──
CIA・財界・右翼とつながるフィクサーたちと、なぜ彼らは角栄とともに動き、沈黙したのか?
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