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乳幼児突然死症候群 佑菜との手記
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乳幼児突然死症候群とは

乳幼児突然死症候群(にゅうようじとつぜんししょうこうぐん、英語: Sudden infant death syndrome、SIDS(シッズ))は、何の予兆もないままに、主に1歳未満の健康にみえた乳児に、突然死をもたらす疾患である[1]。「予期せぬ乳幼児突然死(英:Sudden Unexpected Infant Death(SUID)、Sudden Unexpected Death in Infancy(SUDI)」の1種である[2]。アメリカなどでは、俗に「cot death」や「crib death」と呼称する。

こんにちは。伊川(@naonaoke)です。

そろそろいいかなと思う。

こちらのブログには、佑菜の掲載が少しある。

その記事をまとめようと思う。

乳幼児突然死症候群の手記を書くきっかけ

いつか、書くときがくると思っていた。

Twitterのフォロワーへリプしたのがきっかけだ。

もう、いいだろ。十分に時間はたった。

俺と同じ思いをしている人、そして、俺と同じような悲しみを背負っている人もいると思う。

同じ悲しみを背負った人の糧になれば幸いだ。

2010817日に、佑菜は生まれた。

これが俺の娘だった。


かわいいでしょ?

嫁にしかなつかず、俺が抱いても、ただ、ただ、泣くだけ。

でも機嫌のいいときは、ニコニコ笑いながら、寝ている俺の足元から、胸元に向って、ハイハイしてきたものだった。


機嫌の悪いときに、イナイイナイバーをしても、「おもしろくない」って顔で、俺このことを見ていた。

女の子なのに、俺には、愛想のない女の子だった。

そう、長男の名前が、佳佑(けいすけ)、生まれながらにして障害があった。

親が死んでも、兄妹はなれないでくれと思い、佑の文字を佑菜につけた。

乳幼児突然死症候群の前日 2011年3月11日

俺は、その日会社の研修で、良いパパになる研修のようなものに参加していた。

こんなくだらない研修なんてないと思いながら。

そのとき、ビルが揺れた。

そう、あの東日本大震災である。

そのとき、まだ俺はしらない。

明日、佑菜が死ぬということを。

乳幼児突然死症候群の当日 2011年3月12日

夜中の230分くらいだと思う。

いつものように佑菜が泣き出した。

その時は、俺が佑菜をあやした。

泣きつかれて寝たのか、静かになり俺もいつの間にか寝てしまった。

午前6時過ぎだと思う。

やけに静かなので、佑菜を確認して、違和感を感じた。

「佑菜!」と叫び、嫁も起きた。

おかしい、ベランダでお日様に佑菜を当てたが、すでに瞳孔は開いていた。

唇も乾いている。

何をしていいのかもわからない。

俺は救急車をよんだ。

俺は様態を確認したが、

救急隊員が、「正直、厳しい」と言われた。

俺のみを残して、私立札幌病院へ救急車は向った。

俺も自家用車で、私立札幌病院へ向った。

何キロ出したかわからない。

ICU

多分、720分くらいについたと思う。

ICUの前で、佳佑がいた。

10分くらいだろうか、俺が、医者に呼ばれた。

ドラマの中と同じ状態で、何本も管が体につけられていた。

でも、なにも反応がない。心拍数は、0のままだ。

医者が俺に言った。

「これ以上に治療は、意味がありません」

「治療をやめていいですか?」

俺は、ハイというしかなかった。

「わかりました」

「治療はやめてください」

その瞬間に、

「午前737分、ご臨終です」

治療室では、立っていたけど、治療室を出た瞬間に、腰から崩れた。

立っていることができなかった。

しかし、佳佑に朝ごはんを食べさせないとと思い、コンビ二で、ツナマヨのおにぎりを2つ買ったのを記憶している。

312日は、休日出勤であった。俺が獲得して、数字を作る予定だった。

それもできない。

とりあえず、朝早いけど、上司の携帯に連絡した。

いつ、出社できるかわからないから。

警察が到着した

一応、変死だから、警察が来る。

遺体を解剖する。

現場検証も行った。自宅に警察が、6人くらい来たかな?

取調室

夫婦別々で、取調べを受けた。

虐待もしていないから、口裏を合わせることもないけど。

若いときは、容疑者で取り調べを受けたが、娘の死で取り調べを受けることになるとは。

このブログで紹介したユーナですが、
2011年3月12日、乳幼児突然死症候群で死んじゃいました。
朝6時30分の時点で、死後硬直が始まっていました。
気付けなかった。
ゴメン。
向こうの世界では、淋しくないだろうか?
いつか、俺も行くからね。
今日は眠れそうにない。
逆だ。
今日、徹夜するなら、昨日、徹夜して、ユーナの相手をするべきだった。

2011年3月12日 伊川のブログ

 

乳幼児突然死症候群の翌日 2011年3月13日

正直、記憶がない。

人は、どんなことにも、慣れていける。
俺も、いつか、ユーナの死について、慣れていけるのか。
カミさんに、
「そんなこと言うな」が、
「そんなことユーナ」に聴こえる。
何年かかるのか。
ケースケがいるのが救いだ。
佳佑と佑菜。
兄と妹、離れないようにと願って名前を付けたが、
離れてしまった。
遺体のユーナは、まるで、眠っているようなんだ。
起きてくれないかな。

2011年3月13日 伊川のブログ

多分、親戚が来て、葬儀屋が来て、寿司を食べていた気がする。

なにか、「そんなこと言うな」とあるが、誰かを否定していたのだろう。

間違いなく、佑菜は俺の横で死んでいた。

解剖の結果は、窒息死であった。

ミルクがつまったのではないかという結論であるが、乳幼児突然死症候群にはかわりがない。

淡々と、葬儀が進められていく。

俺には止められなかった。

何度も、神様へお願いをした。

俺の命と引き換えに、佑菜を蘇らせてと。

その時だった。

佑菜の最後の写真と思い、佑菜に携帯で写真を撮ろうとしたら、携帯電話が、佑菜を人と認証しなかった。

眠っているような佑菜でも、死後3日もたつと、ドライアイスで冷やしても、かびてくる。

あんなに生まれたときは、良い匂いがしていたのに

腐乱のにおいがする。

現実を理解しても、本当に理解していない俺がそこにいた

乳幼児突然死症候群から2日後 2011年3月14日

娘のために、礼服を新調した。
そういえば、半年前に、娘が生まれたから、スーツを新調した。
今日、骨になる。
耐えられないかもしれない。
泣くかもしれない。

2011年3月14日 伊川のブログ

そう、この日は、礼服がなくて、礼服を新調した。

半年前にも、全国に出張するから、佑菜が生まれた記念にスーツ買ったんだ。

火葬の場所は札幌市の山口斎場だったな。


今も、あの斎場にはいきたくない。

近代的な設備だった。

出棺のときは、俺ら家族だけ。

山口斎場の職員が、おなかに手をあてて、少し頭を下げていた。

本当に、憶えている。

その光景は、何メートル先まで、続いているかわからないくらい、遠くまで、遠くまで、職員の人が立っているように見えた。

その職員の人達に恨みも何もない。

ただ、暴れたかった。

職員の人達が、現世の人に思えなかった。

ただ、ただ、佑菜をあの世に誘うようにしか思えなかった。

8ヶ月の子供だから、火葬は割かし早く終わった。

骨は大腿骨以外は、全部粉々になっていた。

少しだけ、乳歯が生えていたよ。

佑菜、君も大人になろうとしていたんだね。

でも、俺が目を話したばかりに、ミルクが詰まって死んでしまった。

どうしたらいい?

この粉々の骨を見たら、もう神様にお願いしても、生き返らない。

絶対に生き返らない。

叫びたかった。佑菜とは、俺が死ぬまで一緒だと。

そして、骨を拾うフリをして、佑菜の骨を食べた。

乳幼児突然死症候群から3日後 2011年3月15日

ユーナは、骨になった。
骨を拾う時よりも、出棺の時がつらかった。
1000度で焼かれた。
熱いんだろうね。

2011年3月15日 伊川のブログ

どうしても、山口斎場のシーンがフラッシュバックする。

携帯も見れない。

散々、佑菜の写真を撮っていた。

携帯に佑菜がいる。

パソコンにも佑菜がいる。

家の中に、佑菜の痕跡がある。

でも、佑菜は、この世にはいない。

それを理解できない俺が、あがく?

人間は、それほど強くない。毎日と同じことしかできなかった。

今日風呂に入れなくても、明日、風呂に入る。

今日食べれなくても、明日食べる。

今日眠れなくても、明日寝る。

これを呪文のように唱えていた。

そして、夜中に、一人で泣いた。

声を押し殺して、涙は佑菜以外に見られないように、泣いて、泣いて、泣いた。

過去に、女達にひどいことをした。

俺にひどいことをされた女達が、泣いてスッキリしたから、別れてあげる。

そんなことを言った。

泣いたら、スッキリする・・・・・・・・

その意味を体感した日だった。

乳幼児突然死症候群から4日後 2011年3月16日

ユーナは、俺に、色々なことを教えてくれた。
たぶん、少しくらい、営業成績が良いからといって、天狗になるな。
そんなことを教えてくた気がする。
ユーナ、俺、頑張るよ。

2011年3月16日 伊川のブログ

佑菜の死を会社に報告しに行った。

会社にはこう言った。

「お願いだから、俺を普通に扱って欲しい」

「ミスをしたら、俺の責任だから」

「何があっても、普通にあつかってほしい」

佑菜は何を教えてくれたのか?

そう、当時のブログの通り、営業成績がいいからと言って、天狗になるな。

そんなことに理由をこじつけた。

今でも、死にたいか?と聴かれたら、Noとは即答できない。

結婚するなら、優しい男はダメだ。誠実な男を選べ。

女の子は、笑顔と料理が少しだけ、長けていたら必ず幸せになれる。

一度でいいから、佑菜に大きくなったら、パパのお嫁さんになる。

そんなことを言われたかった。

異性のファーストキスは、俺だ。

佑菜は、処女のまま、天国に行った。

他の男に汚されることなく、無垢なまま天使になった。

佑菜を天使のように思っていた。

でも、本当に天使になってしまった。

乳幼児突然死症候群から5日後 2011年3月17日

当時のブログは記載がない。

多分泣いていた。

乳幼児突然死症候群から6日後 2011年3月18日

少し耐えられなくなってきた。
ユーナのそばに行きたい。

2011年3月18日 伊川のブログ

多分、このブログは、つけ麺を食べた後に記載した文章だ。

人が死んでも、親戚だの、弔問者だの、人が居れば、ある程度、人は正気を保っていられる。

一人、二人、三人と帰り始め、家の中には、例え、家族がいても、俺一人のような気がする。

「佑菜が死んだのは、俺のせいだ」ともいわれたな。

乳幼児突然死症候群から7日後 2011年3月19日

色々なことがフラッシュバックする。

死にたいかと聴かれたら、「NO」とは即答できない。

昨日、やっと、ユーナの写真を見ることができた。

人は、死ぬと灰になる。

成仏だとか、化けて出るなどは、所詮は迷信だ。

ほとんどが、「マイナスプラシーボ効果」で説明がつく。

俺が死んでも、ユーナのそばに行けるわけなどない。

要は、自分の気持ちなんだ。

そばに行きたいという自分の気持ちなんだ。

やっと、「いない、いない ばー」で笑ってくれるようになったのに。

ユーナ、君の彼氏と喧嘩したかったよ。

花嫁姿も見たかった。

そして、孫と遊びたかった。

ずっと泣いている俺は、格好悪いかい?ユーナ。

今、君はどこにいるんだ?

ごめんよユーナ。俺には、まだ、やることがあるから。

本当は、君のそばに行きたいけど、まだ行けそうにない。

淋しいときは、いつでも、ユーナを思い出すから。

ユーナは、俺のそばにいてくれると思うから。

結局、君を失った、自分がかわいそうで泣いているのかもしれない。

苦しい時こそ胸を張って生きるよ。

そして、いつか、君のそばに行くよ

そういえば、司法書士の過去問だが、

平成13年から平成22年まで、WEB上で管理することができるようになった。

入社以来、こんなに休んだのは初めてだ。

これもユーナのおかげなんだけど。

WEBで将棋もたくさんやった。

バイオハザードもたくさんやった。

今日、Bフレッツから、auひかりに変更した。

wiiを手に入れることができた。

カミサンやケースケが帰省しているときに、

俺の知らないバイオハザードでもするか。

少し、勉強しようと思ったら、こんな事態になった。

大変だけど、勉強しよう。

今なら、出来そうな気がする。

この試験に合格出来なくて、俺の人生はない。

折角、ユーナがくれた休みなんだ。

また少し前に進みたい。

ユーナ、もし、俺が合格出来たら、このブログをみんなが見にくるよ。

その時に、みんなが君を見てくれる。

俺は生きている。やりたいことができる。

俺は、人の死に立ち会うことが嫌だった。

しかし、どうやら、ユーナの死で、他人の死に向き合える。

今度、女の子が生まれたら、よろこんで、嫁に出せる。

ユーナ、もし合格出来たら、君のおかげだ。

あまりにも、高い授業料だった。

君が死ぬまで気がつかない俺を許してくれ。

今でも、ユーナを愛している。

そして、この気持ちは変わることがないだろう。

もしかしたら、君を窒息させたのは、俺が原因なのか?

そんなことも考えた。

しかし、いつか、もし、君の弟や、妹が生まれたら、君のことを教えるよ。

元気なお姉さんがいたことを。

きっと、千の風になって君は飛び回っているだろう。

ユーナは元気が良かったから。

本当に背中に羽があると思ったけど、本当に俺の届かないところに行ってしまった。

いつか、俺も、ユーナと飛び回りたい。

お願いだ。夢でもいいからもう一度ユーナに会いたい。

そんな事を思いながら、酒を飲んで寝ている。

2011年3月19日 伊川のブログ

確か、この日は、クリスチャンセンターというところで、特別に葬式をやってもらった気がする。

俺は、神も仏も信じない。

でも、初めて賛美歌312番を聴いた。

いつくしみ深き 友なるイエスは

罪とが憂いを とり去りたもう

  こころの嘆きを 包まず述べて

  などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは

われらの弱きを 知りて憐れむ

  悩みかなしみに 沈めるときも

  祈りにこたえて 慰めたもう    

いつくしみ深き 友なるイエスは

かわらぬ愛もて 導きたもう

  世の友われらを 棄て去るときも

  祈りにこたえて 労りたまわん

いい歌だなと思った。

それ以降、なぜかしら口ずさむことが多くなった。

乳幼児突然死症候群から数年後 2019年2月22日

俺には、娘がいた。何年前に死んだのかわからない。たぶん6年前だ。

というより、数えたくないのだけど。

死んでから、祥月命日の12日は、一度だけいけなかった。

最近はね、祥月命日に毎月行くのが、正直面倒になるときがある。

このブログに、生きていた時のユーナの写真が何枚かある。

法事だの、お盆だの、死んだ人間のために手を合わせる気持ちが大切だけど、行事になるのは、重荷だと思う。

俺が死んだら、本当に散骨してほしいと思う。

死んだ人間より、生きている人間の生活のほうが重要だ。

冷たい人間と思われるかもしれない。

もちろん、祥月命日にこれからも行くだろう。

人間は、死んだら灰になる。

灰を自然に返して、千の風になったほうが幸せではないだろうか?

この文章を書くまでに、佑菜を感じたことが3回あった。

死後の佑菜を感じたこと①

昼寝からおきたときに、テーブルの隙間から、ひょっこり佑菜が俺を観ていた。

「私が死んで、さびしくない?」

そんなことを言っているような気がした。


そう、この写真のように見ていた気がする

死後の佑菜を感じたこと②

佑菜が死んで、3回目のお盆だろうか?

夜中に「お父さん」と女の子の声が聴こえた。

朝起きて、会社に行って、自宅に帰ると、

テレビとDVDがついていた。

しかも、「氷の微笑2」が映っていた。

本当にびっくりした。

「多分、佑菜がいたずらしたんだろうな」

「今日は、もう、怒られたくないから帰ったな」

その日の夜は佑菜を感じなかった。

俺は、決して、テレビ等をつけっぱなしで外出なと、生きていた中で、やったことなどはない。

死後の佑菜を感じたこと③

次は、残酷な夢だった。

夢の中で、俺が出社していときに、ベビーカーに乗った佑菜がいた。

ベビーカーを押しているのは、俺ではない。

明らかに、別の夫婦だ。

そのとき俺は、夢の中で、こう呟いた。

「佑菜、生まれ変わったんだね」

「今回は、ミルクを喉に詰まらせるなよ」

「今の、お父さんとお母さんに、たくさんかわいがってもらえよ」

呟いた後に、目が覚めた。

佑菜は、今、札幌のクリスチャンセンターに納骨されている。

祥月命日に、2回ほど行かなかったことがある。

それ以外は、12日には、必ず佑菜に会いに行っている。

多分、12日以外は、佑菜はクリスチャンセンターには居ないだろう。

元気に空を飛びまわっているはず。

その彼女は、天使だから。

12日は佑菜に必ず会いに行く

そして俺は、毎月12日に佑菜に会いに行く。

骨箱をなでながら、

「佑菜、元気か?」

嵐のチョコレートや、マニキュアも買ったことがある。

そして最後に言う事は、

「また、来月も来るからな」

「俺のことはいいから、俺の周りの人のこと、頼むな」

そう言って、俺は納骨堂の電気を消して、納骨堂の鍵を閉める。

真っ暗な部屋になるが、佑菜はきっと、部屋が暗くなる前に、空をとんでいるんだろうなと思いながら。

空を飛んで、おなかが空いたらここに来ればいい。

佑菜の食べたことのないお菓子を用意しておくから。

そう、俺と佑菜の待ち合わせ場所だよ。


そして、願わくば、佑菜の鼓動をもう一度感じたいと思いながら、

会社に行って仕事をする。

追伸

このブログを書きながら、何度泣いた事だろうか。

まだ、泣けるということは、佑菜への愛情は今も枯れ果てていない。

色々な団体から、あなたの苦しみを分かち合おうみたいな団体から誘いを受けた。

しかし、俺は全部、断った。

それほど、俺は弱くない。

刑務所の囚人が規則正しい生活をしているのは、自分の犯した罪が、規則正しい生活をおくる時間が、癒していくのだと思う。

殺人を犯したならば、普通は、10年の懲役だが、加害者の殺人罪を免罪するのには、妥当な時間ではないのかと思う。

俺が、ある意味佑菜を殺したと思っている。

その罪は一生消えない。

しかし、佑菜を殺したことによる俺への罰は、年々希薄になっていく。

罪は背負うが、罰までは、一生、背負うことはできない。

人間は、どんなことにでも慣れていける。

佑菜のことは、人に尋ねられたら、普通に言える。

隠すようなことではないし、知られて困るようなこともない。

子供が死んだからと言って、出物、腫れ物のように扱われるのだけは絶対にいやだった。

ただ、人はいつか死ぬ

死ぬのは、運命ではない。

娘を亡くした俺が言うのだから、間違いない。

人は、運命と同時に、生命力を持っている。

その生命力が、生死を判断していると思う。

がんで余命3ヶ月でも、3年生きた人を俺は知っている。

8ヶ月さえ生きることが、佑菜はできなかった。

ただ、佑菜の場合は、その生命力が弱かったと思っている。

                            おわり

 

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